カウンセリングは、誰にでもできる仕事?―朝ドラ『風、薫る』から考えたこと―

「カウンセリングって、話を聴くだけですよね?」
そう思っている方も、実際たくさんいらっしゃるかもしれません。
たしかに、人の話を聴くことは誰にでもできます。
友達の相談に乗ることもできる。家族の話を聴くこともできる。
でももし、「人の身の回りのお世話ができるので、看護師できます」
と言われたら、どうでしょうか?安心して自分の身体を任せられるでしょうか。
『風、薫る』では、主人公たちが看護師として看護協会を立ち上げ、
訪問看護の仕事を始めます。
その一方で、「身の回りの世話ができればいい」という条件だけで雇われ、
訪問看護師として働いている人たちも描かれています。
そして、やはり患者さんに適切な処置ができず、トラブルが起きます。
この場面を見ながら、私はふと思いました。
「心理の世界も、これと似ているんじゃないか?」
今の日本では「カウンセラー」や「心理士」という言葉を使うこと自体に、
看護師のような一律の国家資格要件があるわけではありません。
〇〇カウンセラー、〇〇セラピストという資格が無限に存在する現状があります。
人の心を扱う仕事、カウンセリングは、本当に「話を聴くのが上手」であれば
できる仕事なのでしょうか。
看護師だったら、どうだろう
冒頭のように「私は人のお世話ができるので、看護師として働きます」と言われたら。
多くの人が不安になると思います。
看護師には、専門的な知識があります。身体の仕組みを学び、病気について学び、
薬について学び、看護技術を学び、実習もします。そして、国家資格を取得しています。
だからこそ、「この人に任せて大丈夫」という一定の基準を社会が持つことができます。
もちろん、資格を持っているからといって、すべての看護師が完璧なわけではありません。
それでも、最低限、これだけは学んでいる。という基準があることには、大きな意味があります。
心理の仕事にも「最低限」が必要だと思う
心理職も同じではないでしょうか。
カウンセリングは看護師と違って命を扱っているわけではない。
と思う方もいらっしゃる方もいるかもしれませんが、それは誤解です。
心理士は命にかかわる話を聴くこともあります。そしてそれ以外の話であっても、ただ話を聴けば良いわけではありません。
そして臨床心理士は、話を聴くだけでなく、様々な知識や技術を総動員して、カウンセリングを行っています。
(ものすごく抽象的に書きましたが、たくさんありすぎて書ききれないのです…。そのため、上記のような表現になりました)
それだけたくさんのことを学び、経験を積み、我々臨床心理士はカウンセリングを行っています。
資格があれば安心、という話でもない
私は、「臨床心理士なら、絶対に大丈夫」と言いたいわけではありません。
資格を持っている心理職だって、間違えることはあります。経験不足のこともあります。
相性が合わないこともあります。すべての相談に適切に対応できるわけでもありません。
でも、資格を取得するまでには、それなりの量の勉強や実習があります。
心理学の知識だけではなく、心理検査、面接、倫理、関係機関との連携など、数えきれないほど様々なことを学びます。
それでも十分とは言えないくらい、人の心を扱う仕事は難しい。私はそう感じています。
ただ話を聴くだけが、仕事じゃない
カウンセリングは、誰かの人生に影響を与える仕事です。
専門的な判断が必要な場面で誤った対応をすれば、
その人をさらに苦しめてしまう可能性だってある。
だから私は、「カウンセリングなんて、話を聴くだけでしょう」という認識が、
少しずつ変わっていってほしいと思っています。
看護の仕事も、昔は今のような資格制度や専門職としての社会的な位置づけが
あったわけではありません。
そこから、専門性を積み重ねて、現在の看護という仕事になっていった。
心理の仕事も、これからそうなっていくのではないでしょうか。
いつか、「カウンセリングは臨床心理士(公認心理師)に」
先ほどもお伝えしたように、日本では現在、「カウンセラー」という言葉自体に、
医師や看護師のような一律の国家資格要件があるわけではありません。
一方で、海外には心理職の資格や業務について、より明確に制度化されている国も
あります。
日本もこれから、「カウンセリングは、専門的な訓練を受けた心理職が行うもの」
という認識が、もっと当たり前になっていくのでしょうか。
私は、そうなってほしいと思っています。これは、心理職の仕事を守りたいからだけではありません。相談する人を守るためです。
そのために心理士自身も、「資格があるから大丈夫」で終わるのではなく、研鑽を続ける必要があるのだと思います。
『風、薫る』を見ながら、そんなことを考えました。
心理の仕事も、いつか「臨床心理士(公認心理師)に任せるのが当たり前」と言われる時代が来てほしい。
私は、そんな未来を期待しています。


